嫌いと言わないのがよかった

 私は数年前にうつらしい症状に陥った。

 眼や身体の不調があった。つい数ヶ月前まで、毎日生きているだけで精一杯だった。吐き気と闘いながら、ゆっくりご飯を食べた。

 

 ある時自らの性根を変えようと思い立って、それから、多くの病院へ通った。耳鼻科、眼科、消化器科、歯科。

 すぐに原因は分からなかったが、症状を緩和する薬を試していく中で、痛みの正体を、少しずつ消去法的に見定めていくことができた。

 結局、親知らず部分が痛みの中心となっていた。ずっと、眼の痛みだと勘違いしていた。

 あっさりと抜歯は完了して、身体に温かみが戻ってきた。夜風の色や匂いが、こんなにも快く感じられたのはいつぶりだろうか。これなら生きられる。温泉に浸かっているような気持ちで生きることができる。

 

 結局、うつが第一原因なのか、歯周病が第一原因なのか、それは分からない。

 

 

 様々な身体の不調が、盤根錯節に絡み合っていたとき、心まで大きく乱された。好きだったものが楽しめなくなったり、視力の低下だったり、聴力の塞がった感じ、食事が苦痛、吐き気、不安と希望のインターバル、家族を巻き込んだ毒々しい生活。

 何度も、色んな物を嫌いになった。五感が弱り、本や音楽からも離れた。もともと好きで、今嫌いだったら、嫌いなのだろうか。症状の寛厳にもとづいて変化する好悪に、容易く翻弄される。好む自分と嫌う自分の、一体どっちが自分なのか。自己分裂とは、感性の掩蔽の所為ではないか。心の中をさまよう。

 

 

 しかし、帰ってこれた。

 身体は暖かくなった。風に愛を感じられるようになった。

 

 苦しく塞いで絶望の中にいるときは、まず、あがいて微かな希望でも見つけるのが望ましい。

 そして、病院に、恥を覚悟であたり続ける。

 

 苦しく塞いでいるときに、気をつけたいことが2つある。

 1.悪いところ以外を悪くしないようにする(生活習慣)。

 2.湧き立つ怒りや怨み・嫌悪を、どこか別のところへ吐き出す。ノートやブログなどに。可能ならば。