多重私生活

 家内の会話がどうしてか、華がないので、注意深く観察することにした。

 会話には色んな形態があるように思われる。僕の家内の会話は、楽しい会話のためのなにかが欠けている。

 

 僕自身と父に関して言えば、与えられた主張に対して、はじめ否定から入る傾向がうかがえる。つい、「だけど」「でも」で返してしまう。

 今は観察の段階で、明らかな状況になれば、指摘してみるつもり。

 

 環境によって、会話のレベル――貴賤がある気がしてならない。

 それはそのまま、会話の面白さにつながるのだと思われる。話していて面白くないこともあるし、話していて面白くてたまらない人もいる。あの違いがどこから来るのか。それを、僕はこれから入念に観察してみたい。

 

 つまらない会話の具体例なら、いくらか持っている。

 たとえば、貰ったフルーツに関しての話題。桃と何々をかけ合わせたというフルーツがあって、その何々を会話グループの一人が調べだした。「何々は、これこれで、云々らしいね」。僕は、対して興味が無くて、聞き流していた。

 

 まず第一に、興味がない話はつまらない。

 共通の話題というのは、互いの関心があるから、互いに楽しんで談話できるわけ。

 学園の中では、テストや授業の話題が楽しい。なぜなら、関わりが深く、興味があるからだ。恋バナだって、ゲームやテレビの話だってそうだ。

 

 ついクセで、こう体系立てて思索を進めたくなってしまう。続けると、記事が長大になって、色々とよくないと思われるから、また別に書くことにする。