完璧主義は全部跳ね返ってくる

 理想が高いと、他人の粗にすぐ目がいく。

 心は、脳の中で勝手に揚げ足を取る。

 なんて下手で滑稽な授業なんだ。それは、心の中で反面教師として対称化される。では自分は、そう言えるだけの実力や高い志を持っているのか?

 

 

 僕は受験に関心の持てない無邪気で未熟な子どもだったから、第一志望に落ち、偏差値の低い、近所の大学に甘んじて入学した。

 真面目な人にとって、質の低い授業がもたらすストレスは計り知れない。真面目に話を耳で聞いてしまうから、内職の読書も害される。

 そうして、僕は、大学をけなすために成績トップをとった。成績の悪い人間が大学を非難しても、負け惜しみにしか見えない。成績トップならば、真っ当に聞こえるだろう。

 結局、鬱のモンスターが誕生した。終わり。

 

 

 僕は、本当は、完璧主義に好意すら持っている。プログラムを書くときには、便利で仕方がないし、誤字脱字を減らせるのは気持ちがいい。

 世間的に完璧主義は、否定的に語られる。ゆえは簡単、健康を害するところが大きいから。

 大きな代償を伴って、百尺竿頭進一歩の英知を手にする。背水の陣のように、いつ瓦解するかは分からない。

 今や、大雑把を覚えた凡人に近づいてしまった。本心では、取り戻してみたい。

 なぜなら、完璧主義の人が見る夜の世界は、あまりにも美しいから。命を投げ売ってしまうくらいに感嘆して、それがきっかけで、僕は言葉を覚えだした。

 憂患を始めとして字を求む。しかし未だ言葉足らず。